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このところ何度か「脳死・臓器移植」問題についての話題に触れさせて頂きましたが、
昨日の朝日新聞の読書投稿欄「声」で、小栗様の書籍にも登場されるの交通遺族の声が取り上げられました。
・ 命の重さ問う臓器移植論議を 主婦 布川 美佐子 (横浜市都築区)
私は13年前、交通事故で9歳の息子を19日間の脳死状態の末に亡くしました。頭を強く打ち、意識はありませんでした。しかし心臓は動いているし、脈もあり血圧も正常です。体も温かいのです。
朝もお昼も元気だった息子の死に直面した夕刻のその時「助かる見込みはないから心臓を元気で苦しむ人にあげなさい」と言われても、元気に動いている心臓を誰とも分からぬ人にあげることなどできません。パニックの時に移植を誘導され、あげてしまっていたら、一生、後悔と自責の念に悩まされ続けたでしょう。
奇跡でも起きないと助からぬ命でも、心臓が止まり、冷たくならないと、死を認めることはできません。でも、時間の経過と共に、次第に死を受け入れざるを得なくなるのです。そして臓器移植となれば美談として報道されますが、提供者は隠されます。
助かった命の陰には尊い命の犠牲があります。同じ大切な命なのです。病気の人を救いたい気持ちは、事故に遭った側も同じです。人工心臓など新しい医療の進歩を願うと同時に、臓器移植法の改正は議論を尽くして慎重な判断を導いていただきたいと思います。
布川様、投稿ありがとうございました。
助かる命だけでなく、犠牲とされ世に紹介されることもない命の側、
そしてその周りの方々のそれからの問題までしっかりと考えた上で判断しなければならない問題です。
皆様が決して人事としてでなく、わが身の事としての考えていただきたいと思います。
もちろん私も布川様と同じ意見です。
間違えないで頂きたいのは、今回の移植に関する問題点は、脳死に関するところです。
本人の意思を持ってご家族も同意されているケースの批判をしているわけではありません。
また、お亡くなり後の提供に関しても同様です。
失われていく命の側をあまりにも知らずして、「愛の贈り物」などとたとえてしまっていることに関しての問題を指摘しているところを誤解なさらないよう、お願い致します。
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